INTERNATIOMARU BLOG

MaruのInternationalなBlog.

[キルギス旅] ビシュケク→タムガまでマルシュ移動

2022年8月の旅行記。大学4年生の夏休みの大冒険。

 

カザフスタンアルマトイから陸路でやってきたそのままの足で、キルギスビシュケクから東に離れたタムガ村まで移動しました。タムガ村は、キルギスのアイコンでもある大きな湖、イシク・クル湖沿いの南側にあります。

Google Mapより抜粋。

 

ビシュケクのバスターミナルにて乗り込んだマルシュルートカは、5時半ごろ出発。

何もない草原の中を走り出し、見る見るうちに外は真っ暗になってしまったが、マルシュルートカはお構いなしに物凄い速度を出して走り続けた。

 

後ろの席に座った女の子が足を投げ出していたのか、小さな足が私のお尻に時々触れていた。その子は車酔いをして、途中の休憩所で思いっきり嘔吐していた。可哀想に。

 

私はここでパンと水を購入。比較的小さなパンを選んだのだが、中には具がぎっしり詰まっていた。セブン●レブンさんは見習ってください。いわゆるピロシキ?一見無害そうなパンが実はこんなにボリューミーだとは知らず、この三日間ろくに食事を摂っていなかった私の胃には爆弾同様であった。

一つは具にキャベツなどの野菜が入っていて、もう一つは肉とジャガイモ。

 

ちなみに、この休憩地点にはフリーWi-Fiがあったが、日本の携帯番号は拒否されて使えなかった。その後、ガソリンスタンドで奇跡的にフリーWi-Fiに接続することができたが、短い停車時間では、宿の場所を調べて地図のスクリーンショットを取ることくらいしかできなかった。今思えばあまりにも準備不足である。

 

このマルシュルートカでは、バルスクーン出身のサマットとアフース兄弟と友達になった。特にアフースは本当にたくさん助けてくれた。マルシュの現在地が分からず不安に思っていた私に町の名前を毎度教えてくれ、私の降車地であるタムガに着いた時には運転手に知らせてくれた。

 

私が降車したのは確か夜の11時位だったのだが、周りは一切明かりもなく、ただただ暗闇と草原が広がるだけの空間だった。夜は怖くないと思っていたが、日本の街の夜と大草原の夜は大違いだと思い知った。

 

そんな中インターネットも無しに一人で歩ける訳も無く、その場で佇む私を見かねたバスの乗客がわざわざ事情を聞きにきてくれた。私と同い年くらいの、少し英語ができる女の子が話を聞いてくれ、宿の近くまで行くからとマルシュに呼び戻してくれた。そして、地図で現在地から宿までのルートを見せてくれ、このまま真っ直ぐ歩けば5分で着くと教えてくれた。あのまま一人で歩いていたら間違いなく道に迷って野宿になるところだった。

 

そうして宿の近くで下車。マルシュの皆に感謝を述べて、再び暗闇の中を歩き出す。

 

外はあまりに暗く、スマホのフラッシュライトを使わなければろくに足元も見えなかった。道の脇の草むらからは何やら虫か蛇のような鳴き声が絶えず聞こえていた。シーー、と細かく振動するような鳴き声。あれ、何だったんだろう。

フラッシュをたいてもこの程度しか見えない暗さ。

 

夏の終わりとはいえ、夜は気温もかなり落ちていた。宿は近いはずだったが、気がつけば行き止まりだった。周辺を見ても宿は無い。どうしようかと振り向いたところで、奇跡的に車が一台走ってきた。

 

手を降って助けを求めると、女性は自宅まで案内してくれた。無口で強面のお父さんが、部屋に入るように私を促した。お父さんは、右手の薬指と小指が無かった。女性は今夜はここに泊まるといい、と言ってくれ、スマホでカジノアプリをプレイしていた短髪のファンキーな娘さんが清潔なベッドルームやバスルームを案内してくれた。なぜ未使用の寝室がここまで整えられているのかは、疑問だった。

 

ひとまずソファに腰を下ろし、本当に今夜ここで寝ていいのかと考え直した。外国で女一人、夜道で出会った人の家にそのまま泊まり込むなんてどうかしている。Booking.comで予約していた宿のキャンセル料を取られるのも避けたかった。せっかく案内してもらったのに申し訳なかったが、やっぱり元々予約していた宿に向かうと伝える。ここでお母さんが一冊のノートを見せてくれた。色んな言語でお礼のメッセージが残されている。ようやく、この一家がゲストハウスを営んでいることを理解した。とはいえ、決めたことは決めたので、改めて出発した。

 

私の予約していた宿までは、お父さんが一緒に歩いて送り届けてくれた。冷えた夜道で、お父さんはポケットに手を入れたまま真っ直ぐ前だけを見つめて歩いた。一家の飼っている茶色の犬も一緒についてきた。お父さんはやはり無口でどこまでも無愛想だったが、「この犬はオスですか、それともメスですか?」とか、「キルギスは人が優しくて湖が綺麗で良い国ですね」、「この村では毎晩こんな満点の星空が見られるんですね」とか、私が片言のロシア語で一生懸命話しかけるとそれなりに返事をしてくれた。

 

そうして目的の宿に到着。Happy Hostelという宿です。

しかし、建物には明かりが灯っておらず、扉を叩いても返事はない。流石に深夜だから無理かと私は諦めようとしたが、お父さんはあの手この手を使って宿のスタッフを起こしてくれた。ドアをどんどん叩いたり、近くで拾った石で門を打ち鳴らしたりして、とうとう成功。私は全力でお礼を言ったが、お父さんはやはり何も言わずにさっさと背を向けて帰ってしまった。

 

宿のスタッフの様子を見るに、ほぼ寝るところだったか眠っていたのかもしれない。「起こしてしまったならすみません」と宿のスタッフに言うと、「いやいや起きていたから問題ないよ」と返ってきたが、もしかしたら気を遣って嘘をついたのかもしれない。

 

この時すでに深夜0時に近かったので、必要最低限の支度を済ませて寝室に入った。寝室は四人部屋だったが、この日の宿泊客は私だけだったので運よく独り占めできた。

 

長距離の移動続きの上、夜の草原で迷子になり、流石に疲労していた分、この日はゆっくり休めた。