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[キルギス旅] カラコル観光 | アニマルマーケット、地元ファミリーとの交流

2022年9月の旅行記。大学四年生の夏休みの大冒険。

 

キルギス旅行のハイライト。

この日は朝早く支度をして宿を出た。

近くのバス停からマルシュルートカに乗り、7時半頃バザールの近くで降りてしばらく歩いた。バザール付近はすっかり砂埃の世界で、車が通る度に砂が舞い上がって大変だった。

 

そもそも、カラコル自体が排気ガスと砂埃でとても汚れている。外に出れば排気ガスの匂いを感じるし、どこを見ても瓦礫と砂埃に覆われている。ここの空気を吸っていると寿命が縮まる気がする。

 

なんとなく人の多い方に向かって歩いていくと、既に買われた動物達がトラックに積まれたり繋がれたりしていた。先へ先へと進むと、マル・バザールと書かれたゲートがあり、それをくぐった先はまさに異世界キルギスまで来たら絶対見る価値あり。

 

牛や羊や馬の鳴き声があちこちに響き渡り、私の方が動物を避けて歩かなければならないほどだった。ぽよぽよの羊のお尻や、毛並みの整った牛の背中ばかりを見て歩いた。

 

 

頭や背中にカラースプレーで番号を振られている羊もいた。羊は比較的大人しいが、抵抗するあまりに片足を掴まれて無理矢理歩かされている姿も見かけた。牛は歩みが遅いとバシバシ鞭で叩かれていた。

 

牛や羊の年齢も様々で、子牛や羊は人間が紐に繋いで売っていた。大きな牛は別のコーナーで柵に繋がれて売られていた。この会場は思ったよりも相当広く、あちこち彷徨い歩きながらどうにか一巡することができた。

 

馬のコーナーでは、中学生くらいの子供が一人前に馬を乗りこなしていて格好良かった。おじさん達も乗馬姿が本当によく様になっていた。ここで一人のおじさんと座って話をし、カラコルに家族と住んでいるから今夜宿を探すならうちにおいでと招待してもらった。あいにく今からビシュケクに向かうところなので無理だったが、英語ができなくてもコミュニケーションを取ろうとしてくれる優しい人だった。

 

おじさんとバイバイして、また出口に向かって歩き出した。この会場は砂埃も一段と酷いことながら、動物の糞だらけでまともに歩くこともできなかった。比較的新しいものを避けるので精一杯で、他は仕方なく踏んでいた。

 

カラコルバスターミナルはそう遠くないはずだったので徒歩で向かうつもりだったが、電波が繋がらずマップが使えなかった。そこで、ふと後ろから話しかけられた。バスターミナルは遠いし、この辺にタクシーは無いから向こうにある俺の車に乗れと言う。

ネットも使えずに一人で彷徨い歩く訳にもいかず、青年の提案に従うことにした。

 

青年はよく日に焼けた凛々しい雰囲気で、拙いロシア語で質問ばかりする私を見て苦笑いしていた。20歳のルィーシャは、地理学専攻の学生らしい。会話をするうち、近くの兄の家で朝食を食べないかと聞かれた。スケジュールに余裕もあったので、お言葉に甘えてお邪魔することにした。

 

いきなりの訪問にも関わらず兄夫妻は快く私を受け入れてくれた。奥さんはほんの少しだけ英語ができるようだった。子供は3人で、皆人懐っこくとても可愛かった。 子供達とわいわい遊んでいるうちに朝食が出来上がり、みんなで食卓を囲んで食べた。

タンパク質のありがたみ。

何やらルィーシャが電話をしているなと思っていたら、暫くしないうちに彼の友達もやってきた。お友達は寡黙な質らしく、シャイな微笑みを浮かべているだけでほとんど一度も喋らなかった。でも、きちんとした振る舞いやその柔らかい微笑みから、心の温かい人なのだと伝わってきた。

 

奥さんは気のしっかりした人で、旦那さん(ルィーシャの兄)は常にニコニコしているゆるふわ系の人だった。

 

そうして話をしているうち、今夜このままここに泊まっていきなさいと言ってもらった。フライトの関係で明日16時にはビシュケクに着かなければならないことを相談した上で、えいやという気持ちで家族のオファーに甘えることにした。

 

朝食を食べ終わってしばらくすると、今度はルィーシャの実家に寄ることに。

そしてルィーシャの運転で30分ほど移動。到着すると、半屋外の小屋で作業をしていた高齢のお母さんが出迎えてくれた。

 

お家にお邪魔すると、またお茶と食事が出された。手伝いを何度も申し出たが断られた。例のフォーチュンクッキーのような形の揚げパンと、マヨネーズ漬けのサラダと、ポテトと肉の炒め物が振る舞われた。

 

いつの間にか奥から若い女の子が現れ、静かにせっせと働いていた。彼女は街で料理学校に行っていて、これは全て彼女が作った料理なのだという。細くて小柄な、静かで奥ゆかしい女の子だった。後になって、彼女はルィーシャの別のお兄さんの妻であることが判明する。

 

食事も終わりしばらく休憩すると、今度は向こうの友達や親戚とのビデオ通話に引っ張りだこになった。そのうち、友達や親戚や近所の人達が続々と家にやってきた。延々と続くお茶会を、筆者は片言のロシア語と笑顔で乗り切った。

 

昼過ぎにはルィーシャがお庭を案内してくれた。畜舎に加えて、じゃがいも畑とリンゴ園があり、その場でリンゴをいくつか採ってプレゼントしてくれた。

 

お母さんが梅を干すのを見ながら隣に座って延々とお喋りもした。手を洗おうと手洗い場に連れて行ってもらうと、謎のプラスチックの箱から金属棒がぶら下がっているものを見せられた。使い方が分からず戸惑っていると、お母さんが先に使い方を見せてくれた。どうやら金属棒が栓になっているらしく、手で金属棒を軽く上に押して水を出すのだ。これはなかなか衝撃だった。

 

そうして、昼頃から夕方まで、庭を歩いたり、ペットと戯れたり、子供の遊び相手をしたり、お客さん達とお茶会をしたりして過ごした。

兄夫妻の長男(5歳くらい)は私を気に入ってくれたようで、子供ならではの無限の体力で私をすっかり疲れさせた。遊んでも遊んでもせがまれるので流石の私も笑うしかなかった。

 

夜になると兄夫妻ともう一人の兄がやってきて、みんなで夕食を食べた。この時はペリメニのスープが出てきた。スープは中国風の優しい味で良かった。夜も10時頃になってから解散となった。最後にたくさんのリンゴと梅干しをお土産にもらった。

 

その後、途中でスーパーに寄って買い物をした後、兄夫妻の家に戻った。

夫妻は、子供達を寝かしつけてから、私のことや日本について沢山質問をしてくれた。日本の家や、街のこと、地理や社会、仕事のこと、産業のこと。

二人はYouTubeで京都の紹介動画まで見始めた。ここまで日本に興味を持ってくれたのは嬉しかった。

 

奥さんは大きな寝心地のいいソファーを私のベッドにしてくれ、この晩はよく眠れた。